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zoom RSS ニコラス2世の家族が幽閉された家の持ち主

<<   作成日時 : 2016/07/29 20:58   >>

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元鉄道技師のニコライ氏来朝
 悲惨なる当時の光景を語る

薄暗い地下室の床と壁に
 未だに残る血と弾の痕



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 ロシア廃帝ニコラス2世が幽閉されたエカテリンブルグの建物の持ち主という人が数日前ハルビンから横浜へ来た。その人はニコライ・ニコライウィッテ・イバチエフと呼び、元ロシアの鉄道技師で、エカテリンブルグに広大な邸宅を所有している。この邸宅は最初ケレンスキー氏が失脚し都を離れて来た当時、約3ヶ月も隠れていたが、その後過激派の勢力範囲になったときにこの邸宅も過激軍の軍司令部となり、最後にロシア皇帝が幽閉され殺されたという重大な関係を有する邸宅である。
 
 氏は当時の状況について語る。
 「私は過激派に家を追い出され、田舎に隠れていたので、廃帝の殺された当時の光景は目撃できませんでした。過激派の撤退後我が家へ帰ってみると、家の周囲は高さ2丈もある太い杉の丸太で囲われ、その外側には鉄条網が2重にも3重にも張られていました。
 家の中へ入ってみると、部屋という部屋はことごとく破壊され、家具はもちろんのことキッチンのカーテンまで略奪されてました。ニコラス皇帝一家の幽閉されていた地下室へは行ってみると、個々は私どもが倉庫に使っていた部屋ですから、光も空気も思うように入らず、実に陰湿なところです。ここに皇帝をはじめ皇后、王子、4人の皇女が3ヶ月も押し込められ、ろくろく食事も与えられず毎日言うに忍びぬ侮辱と虐待を受け、挙げ句の果てには銃殺され、死体はそこから約1里もある寂しい林の中へ夜中人知れず埋められたのです。
 皇帝が殺されたのは1918年の7月17日で、25日にはチェコ軍がエカテリンブルグを占領したのですから、わずか1週間の差であのような悲劇が演じられたのです。
 それでもさすがに皇帝はどこまでも大帝国の元首であるという態度を保たれたそうで、一説には過激軍の司令官が皇帝に向かって「もし皇女の一人を自分の妻に与えるなら、一同の命を助けてやろう」と言ったところ、皇帝は断固として拒絶されたとのことです。
 私の家の地下室の床に残された黒い血痕とその壁に印された数個の弾痕は、充分に当時の悲劇を物語っています。
 大正9年4月4日 東京朝日新聞
 
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