三大呉服店の一名物を失はんとす

店主齋藤又右衛門氏談


 区内に於ける三大呉服店として、鼎立並称されつつあった末広町十字街の斎藤呉服店が、十四日の新聞広告や引札を以て、突然の「転業」すると云ふ事を発表した。
 区の商業界の趨勢上、大いに注目すべき一現象ではあるまいか。

同呉服店の古い歴史


 先代の又右衛門氏が此の店を開いたのは、明治二年頃のことで、当時は未だ「送りませうか送られましょか、せめて枡形の外までも」と云った、人家さへ少なかった鶴岡町に小さな店を開いて居られた。
 誠実と勉強とて売り出し、遂に明治十三年の事、今でこそ名のみ馬鉄で呼んで居る永国橋の角へ引き移り、当時の状態から云ったらば、文明的に率先したハイカラの店を開いて、丁度そのその傍らに在った魚市場の繁盛と並び立ち、永国橋の斎藤と云ふ名は近郷近在は勿論のこと、本道一帯に鳴り響いたものであった。

十八歳の政七時代


 然るに明治十四年の事、先代の又右衛門氏は東京の仕入先とか、機場(はたば)の経営監督と云ふ名目の下に東京へ引越された。
 そこで、大火災後に至り、現在の地へ建築し、相変らず呉服業を営んで居らるるのであるけれど、永国橋時代を思ひ浮かべると、その辺は函館の呉服屋町とでも云ふ様に、殆ど軒を並べて居たのは一山十の石川を始め、龍五十の安浪治郎吉、丁丸三浦、曲吉福浦、山○二菊地と、兎にも角にも五件の同業を睨んで大奮闘したのは、当代の又右衛門氏が政七と呼び、漸う十八歳のアンコ時代であったらう。

之れより主人の談話


 一記者は以上の四拾余年来継続してきました呉服太物業を此度突然他に転業致しますに就いては唯「従来の呉服太物業が倦きたから」と云ふだけで、至って簡単明瞭な理由の外に何等複雑な原因は御座いません。
 こう申すと数十年来の家業を擲つには余り単純な理由ではないかとの御疑ひも御座いましょうが、私は常に持論として一家の家業は必ずしも累代の世襲とせねばならぬものとは思って居りません。
 従って、従来の呉服業も私一代の事業として是まで経営して参りましたが、時勢の進運につれて、其の時代時代に適応せる種々の事業も発達して参りますし、地方的特殊の新事業も発見されますので、近年来ある二三の抱負も御座いましたが、公職公事業に携はって居ります体は、従来の呉服業を経営しつつ、尚其れ等の抱負をも満たすと云ふ事は甚だ至難の事で、此の際断然「既に倦きた呉服店」を擲ちまして、他に転業致す考えで御座います。
 私も未だ老耄の域には道程が遥かで御座いますから、近き将来に於いて再び実業界の何れの方面からかお目に懸り得る事と信じております。
 尚愚息たちも各自に今後の腹案を建てておるやうで御座いますから、其れ等にも各自欲する事業を経営させる考へで居ります。 

創業以来四十余年の間


決して多くの資産を勝ち得たと云ふ訳では御座いませんが、兎に角十字街の歹|(┐にカタカナのタ)と皆様の御噂にも上り、区内の呉服店中に指を折らるる光栄を荷ひ得ましたのも、偏へに大方各位の深甚なる御愛顧御引立てに依る所と深く感佩致して居ります。
 其れで此度びの転業見切売りにつきましても、此の見切売りほどの廉価で商品を処理致しますなら、他に一手処分の方法も御座いますし、現に商品の一手引受けを申し込まれた方も御座いますが、此の際永年来の御眷雇に報ゆる私の微衷から従来戴きました利益の幾分を割きまして御返し申し上ぐるやうな心持で、此の大破格の廉価大見切売りを開始致しました次第で御座います。

 従来顧客の多かった同店の事であるし、丁度世間では、冬物の支度に懸ろうと云ふ矢先へ、此の空前絶後の大見切売りは却って面白い計画として歓迎され、各自掘り出し物を得やうと同店に於ける五日間の盛況は之れ又空前絶後であらう。

函館新聞 大正二年十月十五日


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