甘粕事件の真相

大杉栄外二名殺害
 第一師団軍法会議検察官談


 甘粕憲兵大尉は本月十六日夜大杉栄外二名の者を某所に同行し、之を死に致したり。
 右犯行の動機は甘粕大尉が平素より社会主義者の行動を国家に有害なりとしありたる折柄、今回の大震災に際し、無政府主義者の巨頭たる大杉栄等が震災後秩序未だ整はざるに乗じ、如何なる不貞行為に出づるやも測り難きを憂ひ、自ら国家の猛毒を芟除せんたるに在るものの如し

大杉栄と野枝女
 三角関係に始まった仲


 大杉栄を中心に先妻の堀やす子、神近市子の三角関係から更に神近市子、伊藤野枝の三角関係に移って、例の日蔭茶屋における市子の刃傷沙汰を惹起したのは、今から七年前の大正五年十一月九日であった。以来、大杉と野枝の仲は主義者として、また主義者の妻として一分の隙もないほどにぴったりと意気相投じて、傍の主義者仲間でさへ一様にうらやんだくらゐであった。
 市子の犯行当時、世間の多くは市子に同情して、葉山へ大杉栄を見舞った宮崎滔天氏ですら激昂のあまり、病院の玄関先で野枝を「恋盗人」とばかり衆人の前で蹴る殴るしてはづかしめたのもこの時だが、世間の嘲笑も反感もふたりの仲をとがめこそすれ、へだてるすべにはならなかった。野枝が初めて大杉と相知ったのは、フランス語講習会の講師時代、神近市子と相ゆるして堀やす子と別居し、麹町三番町に下宿屋住まひをしてゐるところからだ。
 その後間もなく野枝は夫辻潤氏と子までなした仲を分かれて大杉のもとへ走ったのは、余程の思ひがあったにちがひない。
 そして飽くまで理智にかった市子が女性としての嫉妬と情熱に恋の一奴隷として愛人と共に死なんと期してやったことが、反対の結果となって、野枝は大杉を完全に独占することになったのだ。

父は軍人
 初め幼年学校に入る


 大杉栄は今年やっと卅九歳。我が国の生んだ無政府主義的サンヂカリストの巨頭として過去十数年間知られてきた。香川県丸亀の生まれで、父は日露戦争時歩兵十六聯隊の大隊長として殊勲ある軍人であった。
 その子として彼は陸軍幼年学校へ入学したが、中途退学して外国語学校の仏語科に入り、頭脳明晰な勉強家を以って学生仲間から驚嘆されてゐた。
 何れも独学で英独露伊エスペラントの六か国語に堪能で、卅八年外語を卒業後、獄中で社会学を専攻し、露のクロボトキンに私淑し、主義者として極めて有能であったことは言ふまでもない。
 

悪戯好き
 人によって法を説くやり方


 家庭の人としての大杉は、酒は飲まずタバコはいくらか飲むぐらゐの程度で、気質はごく淡白な、どちらかといへばいたづら好きな坊ちゃんといった所があった。しかも強がりなところもあって、例の日日陰茶屋で熟睡中に右頸部に深さ一寸五分に達する傷を負はされた時は、悲鳴をあげた口の下から多量の出血にも屈しないで帳場へ出かけ、驚き騒ぐ女中にむかって「タバコをくれ」と命じて、横臥しながら悠然と煙を輪に吹かしたことは、彼の気質の一端を語るものとして、当時有名な話であった。
 彼は人によって法を説くで、主義者以外でも訪う者があれば心から喜んで語った。そんなときには主義の話なんかおくびにも出さないのが常であった。
 世間の人々から白眼視されていた頃 -死ぬまでさうであったが- 爪はじきしてゐた役所の人々でも一度彼と話を交へると、その親しみ深い温容に何時とはなしに離れがたい仲となっていった。
 断絶となっている四弟妹はいづれも歴とした人ばかりであるが、主義の為とはいへ晴れて交際の出来ないことを苦痛にしてゐたといはれる。

姉御肌の野枝女
 子供には革命家の名を付ける


 野枝は大杉と十違ひの廿九で、上野高女を出て暫く青鞜社の編集をやっていたとは人も知る通りだが、辻潤氏とわかれて大杉に惚れて一家をなしてから今日までに、欧露の革命家の姓名をそのままに命名し、長女のマコをはじめ、次女エマ、三女エマ、四女ルイズとニストルと都合五人の子の母として召使の伊藤もとと一緒に家庭の一切を切り盛りしてゐる。主義者の妻として与へられた唯一の女性といってもよひくらゐに、しっくり大杉の気質に当てはまってゐて、身の回りから爪先の事まで全部自分で引き受け、常に後顧の憂ひなからしめていた。
 いつも家庭には主義者の二人や三人がゴロゴロしてゐたが、巨頭の妻として野枝は主義者仲間から敬服され、昔なら大親分の「姉御」といった感があった。
 最近は原稿は売れるで多少は楽になってゐたが、大概は貧乏だった。若い時代には一家の生活費にすら事を欠いて、幾らにも売れない原稿書きを夜通しやって辛うじて一家の口をぬらしたとも少なくなかった。
 しかもそんな時野枝はただ一人自分の胸で切り盛りし、夫には決して家庭のわずらわしさを聞かせないで、大杉として常に自由に主義の為に活路させてゐた。

大杉栄と野枝子
画像


東京日日新聞 大正十二年九月二十五日

大杉栄 wikipedia

伊藤野枝 wikipedia

甘粕事件 wikipedia


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