狂った大川博士 東条大将の頭を叩く

 東条大将の険阻な表情が一瞬振り向いてニヤリとした。法廷も笑ひに巻き込まれた。東条氏の禿げ頭に後ろから平手の不意打ちである。ピッチャンと音がした。下手人は真後ろの大川周明博士である。
 午後三時三十七分の出来事。
 これよりさき、満場の眼が大川博士にそそいでゐた。奇骨稜々たる彼の表情、水色の異様なパジャマに、素足で駒下駄をつッかけ、どう見ても狂人の散歩姿である。
 博士はじっとしてゐない。
 動かない隣席の平沼男と鋭い対称だ。
 起訴状を開く、頭をかく、うつむいて長く長く洟を垂らす、ハンケチで拭きもしない。手を合はせ、長いこと合掌する、何か口を動かしてゐる。
 午後再開の冒頭には黒の上衣をまとってゐたが、ぢきに脱いでしまった。パジャマのボタンをとる。胸ははだけ、腹を出す。
 真正面の位置にあるウェップ裁判長がたまらなく思ったのであらう。副書記長を通じて憲兵隊長に連絡、隊長が博士の真後ろに立って外したボタンをはめてやる。博士は子供みたいになすままに任せて合掌する。平沼男に話しかけて注意される。こんどは口を開けて高笑ひする。憲兵が博士の肩をつかむ。振り向いて何か隊長に話しかける。鉛筆を貸せといふらしい。隊長が胸元からシャープを取り出して与へる。博士は何か書く。
 三時半過ぎ再度休憩に入った。
 外人写真班が、被告席東条大将の真下に進んで撮影を始めたトタンに、博士の手がツッとのびて東条氏の頭を叩いた。すかさずニュース映像と普通写真がこの異景をキャッチした。すぐに憲兵隊長がおさへたが、起ち上った博士が奇声を上げた。
 ドイツ語で
 「インデアンス・コンメン・ジー(印度人、こっちへ来い)」
 「お前ら早く出て行け」
 次は英語で「座れ」と怒鳴った。
 博士はMPに連れられ他の被告と同時に退廷した。
 かつての大東亜の論客の狂うた姿。
 それは悲惨というよりいふやうのないものであった。
 三時五十分再開の法廷では、博士の姿は列外におかれ、ケ大佐がその肩を押さへてゐた。

控室の大川周明博士
画像

朝日新聞 昭和二十一年五月四日


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