同棲十年の良人を捨てゝ 白蓮女史情人の許に走る (2)

<<(1)より続く>>

処女の誇りを早くも捨てゝ 
 金の力に引かれつゝ 再婚の筑紫へ


 斯うした神の手すさびのやうな運命の萌しは然し二十年の昔に培はれていたのである。
 深窓に育まれた燁子姫は十六の若さに京都上賀茂の北小路子爵家に話があって処女の誇りをそこに捨てゝ

輿入れしたのである


 そして明くる十七の春には一子功光を儲けて早くも母と呼ばるゝ身になったが、故あって北小路家を去らねばならぬ事になった。人妻としての経験の所有者であり、子を捨てた母としての憂愁の心持はそれを忍にあまりに若き時代であったので、只その頃を涙に浸りながら淋しい生の執着に引かれていた。
 其の間には麻布の英和女学校に通ひ佐々木信綱博士の竹柏園に歌の門を叩いて、寂寥から襲ひくる尽きせぬ悲しさおば慰めて居た、まことに白蓮の名にふさわしい、花ながらうら淋しい明暮れであった。
 「十五過ぎ泪の色も紅うなりてわれたらちねを怨みまつりし」とか「殊さらに黒き花などかざりしたる己が十六の涙の日記」とかは夫人がその頃の環境にひしひしと迫り来った心持を詠んだ告白であった。
 七年の月日、快楽も喜悦も夫人の周囲からは忘れられたやうに遠ざかって行った。そのうちにも春は急ぎ早にに経って

垂れ籠

めて居る夫人の周囲をいくたびか巡っていった。
 二十七の春、それは過ぐる明治四十四年であった。
 姉と呼ばるゝ柳原伯夫人はな子は、出戻りの身を日ねもす歌にのみ明暮らす燁子の上に注ぐ同情は極めて淡いものであった。
 伯爵家の姻戚某子爵家の口添えで二度目の人妻たるべく筑紫に暮らしたのも伯爵夫人から切り出したのであった。
 坑夫上りの夫伝右衛門氏は五十二歳、燁子は二十七歳、

名門に生まれて

才気焔発の美しき新夫人は、目に殆ど一丁字ない老年の男子にその生を託したのである。
 山と積まれた千両箱の富の力に伯爵家の心も動かされたと云われる、結婚金二萬円也。さういった噂が燕の飛ぶにも似て南から北へ、北から南へ伝わった。

冷たい涙の同棲十年の生活
 坑夫上りの無理解に虐げられた艶姿


 金に飽かして贅を極めた筑前幸袋の本邸、博多に「あかゞね御殿」の名も高い天神町の別邸、湯の町にある別府の別荘、若く美しい燁子夫人を得た伝右衛門氏はさながら

花の香りに陶酔

する熊蜂のやうに其処此処と廻り歩いて、歓喜の中に浸って居た。然し燁子夫人の顔にはつゆ笑ひの糸の解れを見たこともなかった。月の半を幸袋の邸に、あとの半を銅(あかがね)御殿に、たまさか別府の湯の町に美しい姿を見せては不足もない月日を送って居ても、胸は氷のやうに冷たく凍てついて居た。
 噂のやうに富の力に圧しつけられた人身御供のいたいけな犠牲を悲しんだのであらう。
 燁子夫人もともすれば沸くやうな

胸の高鳴る青春の頃

は過ぎたとしても、伝右衛門氏との三十歳の差異はあまりに距離がありすぎた。貴族と平民との階級。まだ当時は燁子夫人もさうした思想に囚はれて居た。無学、没趣味、野卑の姿は夫人の眼にも心にも何物も映らなかった。夫人が伝右衛門氏に嫁いで後に凡てのもの皆、悉く意想の外に出でた。夫人が十六の

春の人生の旅立ち

に深手を負うた悩ましいその後の話としては、媒介口は強いられたる二萬円の外に多少の明るい希望を灯したのは争われなかった。
 「伝右衛門氏は至って品行方正である、養子もない、夫人の自由も尊重しよう」
 さういって入った伊藤家の生活は、まづ数多い美しい女中の、伝右衛門氏の側離れじとかしづくのに驚いた。品行方正の家に妾があり、さらに京の祇園にも妾が囲われてあった。娘には夫人とたった四つ違ひの養子があったのも意外であった。
 財産に対して養子と妾とは夫人の心持ちを猜疑するやうな極端な所有欲。炭礦王の夫人として貴族の家に生まれた身にあてがわるゝ月々の手当てが五十円ポッキリ。身の回りのもの凡てがこの五十円で済まさねばならぬ不自由さを舐めた。伝右衛門氏は恐ろしく干渉した。ある時は女中の前に夫人をいさゝかの事から叱って、昔銅を掘るに鍛えた

法螺のやうな拳

が夫人の頬に触れなんとしたこともあった。耐へ難き夫人はある夜中に家を抜け出て筑豊線の鉄道線路をば恐怖におのゝきつゝ彷徨うたこともある。この時は遉(さすが)の伝右衛門氏も周章狼狽したと云っている。こんなことがあっても実家の柳原伯や清浦子爵などもこのいたいけな犠牲の解放には力頼みとはならなかった。
 それに伝右衛門氏の淫蕩的な心持ちは止みさうもなく、つい近頃のこと

博多の花柳界に

一二の名花として聞こえた中検の芸者屋玉川の抱妓ふな子(加藤てい)と呼ぶ二十歳になる若いのを根引した。
 表向きは白蓮夫人の根引とするも、それはいふ迄もない伝右衛門氏の侍女である。此の為に惜し気もなく大枚四千円を投じ、伝右衛門氏の心は白蓮夫人の決意を硬めしめた近因でもあらう。

結婚当時の伊藤氏夫妻(十年前)


画像

<<(3)へ続く>>



大正十年十月二十二日 東京朝日新聞


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