離婚話肩すかし 藤原義江夫人帰る
藤原歌劇団と共に渡米、サンフランシスコに滞在していた藤原義江夫人あきさん(53)は、先月三十日サンフランシスコを発ち、十六日朝新潟に入港した飯野海運貨物船青島丸(6400㌧)で新潟市に上陸。友人の大迫倫子さんらに出迎えられて、同市室長旅館に落ち着いた。
紺のスーツ、白のスカーフ姿のあきさんは、伝えられる義江氏との別れ話について、記者団に次のような談話を同船会議室で発表。
離婚の噂話については、否定も肯定もせずに「面白い話だ」と逃げ、「大迫さんら友達五、六人に家を探してくれるように頼んだのは事実だ。今度の興行の失敗は、アメリカの興行師に食われたのが原因で、詳しいことは先に帰った川崎、宮本、森さん達に聞いてもらいたい。これからの日程は友達に任せてある」と語った。
談話
いろいろの事情で今度の米国興業はうまくいきませんでした。私は藤原のお荷物になりたくない。夫を身軽にさせたいと思って帰りました。私が夫を愛しているからです。
大迫さん談
新潟まで出迎えに来た大迫さんは港で藤原夫人との面会を待つ間、藤原夫人が「私は夫を愛しています」との談話を出したことについて、ギョッとした顔つきで次のように語った。
五、六回もらった手紙で、トラブルがあるのは確かで、「女は悲しいものです」と言ってきた。あきさんが家を探しているとのことは知りませんが、いつも藤原さん一家は港区氷川町の歌劇団研究所におりました。あきさんはどちらかというと古風な型の従順な人で、まだ愛していることは間違いないとしても、これからどういう生き方をとるか判りません。
昭和28年11月16日 朝日新聞
紺のスーツ、白のスカーフ姿のあきさんは、伝えられる義江氏との別れ話について、記者団に次のような談話を同船会議室で発表。
離婚の噂話については、否定も肯定もせずに「面白い話だ」と逃げ、「大迫さんら友達五、六人に家を探してくれるように頼んだのは事実だ。今度の興行の失敗は、アメリカの興行師に食われたのが原因で、詳しいことは先に帰った川崎、宮本、森さん達に聞いてもらいたい。これからの日程は友達に任せてある」と語った。
私は愛している
談話
いろいろの事情で今度の米国興業はうまくいきませんでした。私は藤原のお荷物になりたくない。夫を身軽にさせたいと思って帰りました。私が夫を愛しているからです。
これからどう生きてゆく
大迫さん談
新潟まで出迎えに来た大迫さんは港で藤原夫人との面会を待つ間、藤原夫人が「私は夫を愛しています」との談話を出したことについて、ギョッとした顔つきで次のように語った。
五、六回もらった手紙で、トラブルがあるのは確かで、「女は悲しいものです」と言ってきた。あきさんが家を探しているとのことは知りませんが、いつも藤原さん一家は港区氷川町の歌劇団研究所におりました。あきさんはどちらかというと古風な型の従順な人で、まだ愛していることは間違いないとしても、これからどういう生き方をとるか判りません。
昭和28年11月16日 朝日新聞
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