徳川幕府の名残り 道路拡張で取り壊し
由緒深い植物園の正門
徳川幕府当初から現存している小石川植物園の正門が、市の道路拡張工事のため、近くその古風な黒門が取り壊され、姿を隠すことになった。
元来この門は、徳川幕府が設けた薬園時代に建築されたもので、初め五代将軍綱吉の幼時、白山御殿と称して居邸であったものを八代将軍吉宗のときに壊して薬園として開いた。
この正門は当時俗に「開かずの門」と呼ばれ、将軍御成の時のみ開門し、平常は閉ざしてあった。
薬園時代から三百年の変遷を経て、今日の東大理学部付属植物園となって、一般から小石川植物園と呼ばれたのは明治八年以降の事である。正門は大震災後に瓦の破損を手入れしたのみで、柱、扉等の形体は薬園当時のままで、横の門番所(現在巡視詰め所)も幕府当時の旧態を残しているもので、ともに屋根瓦には葵の紋章が見られ、往昔を物語っている。
市が拡張工事をする道路は、同区指ヶ谷町から植物園東南側の御殿坂を抜ける八間道路で、正門がこの計画線にかかり、道路完成の上は近代的な門が建設されることとなった。
小石川植物園でハンカチの木を見てきました!
昭和12年2月14日 東京朝日新聞
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