ヘイの内と外と 精神病院

 「ノイローゼ」が流行らしい。機械文明が進むにつれて、精神病も増える一方だという。都立の精神病院長をしている友人を訪ねてみた。
 ノイローゼやヒステリーのほかに、ほんものの精神病も増えてはいるのだが、それは人間が増えているからで、人口に対する精神病の発生率というものは、どこでもほぼ一定して増減はないものだと聞かされた。英米仏伊と似た率というから、戦争に負けてもこの方面では、日本はやはり世界の一流だ。

 何故に人間は気が違うのか。いろんな説はあるのだが、根本的なことは何もわからないというのが本当だそうである。従って根本的な治療法というのもない。
 ローマの郊外に有名な畜殺場がある。電気で気を失わせてから豚のノドを切るのだが、それを見た精神病学者の思いつきが電気療法というやつで、こうでもしてみたらという程度のものなのだ。結核やライやガンが完全に治る時代がきても精神病はおそらく最後まで残るものなのだろうと、暗い話になった。

 むかし「葦原将軍」で知られた誇大妄想狂があった。手製の大礼服にシルクハットをかむり、「拝謁」にくる参観人に自分の「勅語」を買わせたり、八十八歳で松沢病院で死んだ、そのころの一種の名物男である。
 その後あんな陽気な狂人は出てこない。ひところは「マッカーサーのおきさき」も現れたそうである。狂人の妄想は時代を反映するのであろう。このごろは、再軍備きちがいなどというものもあるらしいが、これは病院の外のはなしである。
 志村芳樹という人の「松沢病院看護日記」に、変転する外部の刺激に患者の新しい妄想が誘発される例が書いてある。いつも悲憤コウガイの詩をうたっていた病人が敗戦とともに静まったり、三国同盟を演説していた患者が、戦争がすむといつの間にか自由だの平和だのと口走るようになったとある。こうなると、ヘイの内側の狂人と、外側の利口な人との区別がつけにくい。
 
 精神病院の病棟はいうまでもなく悲惨なものである。しかし世の中の人間が、みんな「良識」の総合錠剤みたいにキチンと釣り合いが取れた体裁で、インチキ会社の決算報告書の様に収支の帳尻だけいやにピッタリ合っているのばかりになってしまったら気がちがうほど退屈なことになるだろう。すこしはオカシイのもいた方が面白い。面白すぎても困るだろうがね、といって笑った。

朝日新聞 昭和三十一年七月四日

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